池田慶徳
いけだよしのり
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 藩主(鳥取藩)
江戸 [1837年~1877年]
池田慶徳とは?
池田慶徳(1837-1877)は、江戸時代後期から明治時代にかけての大名。因幡国鳥取藩12代にして最後の藩主であり、鳥取藩知事。鳥取池田家14代。父は水戸思想の主導者で水戸藩主の徳川斉昭。1850年、鳥取藩主・池田慶栄が子もなく死去したことから、その養子となる。松平相模守を称し学問を奨励、藩内に水戸学が浸透した。1862年頃、京都の尊王攘夷の機運が高まると、国事周旋に乗り出す。江戸で政事総裁職の松平春嶽らと会談を重ね、幕府に攘夷期限の決定や体制を整えるよう働きかける。慶徳は攘夷親征派に対抗するため在洛諸侯集団を形成し、朝廷首脳の支持を得ていった。しかし親征派は大和行幸の詔を渙発。慶徳たちは親征中止を強く訴えたが、圧力に屈した天皇は攘夷親征を決定する。薩摩、会津、阿波、岡山、鳥取、米沢がクーデターを起こしたが、結局親征派は止められず、22人の親征派鳥取藩士が慶徳側近3名を本圀寺において惨殺する事件なども起こっている。明治になると鳥取藩知事に就任したが、財政難などもあり廃藩置県を政府に提案する。1874年、廃藩置県により免職となり、翌年隠居した。 鳥取県鳥取市上町にある鳥取東照宮に、この神社を創建した池田光仲や徳川家康、池田忠雄らとともに池田慶徳も御祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
東神社
(北海道岩見沢市東1番地)
