多久茂文
たくしげふみ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩士(佐賀藩)
江戸 [1670年~1711年]
多久茂文とは?
多久茂文(1670-1711)は、江戸時代前期から中期にかけての肥前国佐賀藩士。多久鍋島家4代当主。父は鍋島光茂、母は廉で、妻は鍋島直堯娘・彦市。後に多久領3代領主・多久茂矩の養子となり、家督を継いだ。幼いころから学問を好み、儒学者・武富咸亮、佐賀藩の儒臣・実松元林に学んだ。領内の繁栄を願わくば人を育てることが重要だと説き、1699年に後の東原庠舎(鶴山書院とも呼ばれた)となる学問所を創設し、庶民にも広く門戸を開いて学問を広めた。1708年、儒学の祖・孔子を祀る多久聖廟を創建。聖廟創建にあたって著した「文廟記」には「敬は一心の主宰、万事の根本にして、万世聖学の基本たり」と記されている。また、茂文の命によって、孔子と四配(顔子・曽子・子思子・孟子)を祀る伝統行事「釈菜」は300年以上の長きにわたり現代まで受け継がれている。こうした茂文の学問への情熱が、のちに高取伊好や志田林三郎などの偉人を多久から輩出した。 佐賀県多久市多久町にある多久神社には、多久茂族らとともに茂文が御祭神として祀られている。元は茂族が家兼と長信、安順を祭神として梶峯神社を創建したのが始まりで、明治に茂族と茂文を合祀、昭和になってから西南の役以後の戦没者を加え、多久神社と改められた。
ご神徳
ご神徳は不明です。
