浅野幸長
あさのよしなが
- 歴史的人物
- 男神・男性

東京大学史料編纂所所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
安土桃山~江戸 [1576年~1613年]
浅野幸長とは?
浅野幸長(1576-1613)は安土桃山〜江戸時代の武士。浅野長政の子。浅野長晟らの兄。幼い頃より父・長政と共に豊臣秀吉に仕え、初陣となった小田原攻めにも長政に従い出陣し、武蔵国(埼玉県)岩槻城を攻めた。その後の朝鮮出兵においても功をあげ、長政に甲斐国(山梨県)22万5千石が与えられ、その内の16万石を幸長が領知した。1595年に起きた関白・豊臣秀次の失脚に連座して能登に流されるが、前田利家、徳川家康の尽力によって許され、再び朝鮮へと出兵している。秀吉の死去を受け帰国した幸長は石田三成らと対立。1600年の関ヶ原の戦いでは家康に属し先鋒を務め岐阜城を攻めた。この合戦での功により、紀伊国(和歌山県)に37万6560石を与えられ和歌山城主となった。1613年に38歳で死去したが、幸長には跡を継ぐ男子がなく弟の長晟が家督を継いだ。 幸長は饒津神社(広島県広島市)で祭神としてまつられている。長晟の代に安芸広島藩へ転封となっていた浅野家の第6代当主・浅野綱長により、広島城内に初代・長政の位牌堂を建立したことに始まる。初代から3代まで、初代の正室、最後の広島藩主・浅野長勲と共に合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
饒津神社
(広島県東区二葉の里二丁目6番34号)
