西島八兵衛
にしじまはちべえ
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1527位
- 藩士(津藩)
- 土木技術者
江戸 [1596年~1680年]
西島八兵衛とは?
西島八兵衛(1596-1680)は江戸時代の人物。西島九郎左衛門之光の子。遠江国浜松(静岡県浜松市)に生まれる。伊勢国津藩(三重県津市)の藩主であった藤堂高虎とその子藤堂高次に仕えた。土木技術に優れ、二条城や大阪城の修築に関わる。讃岐国高松藩(香川県高松市)に招かれ、高松藩奉行になると、讃岐国内に90ほどのため池を築き、その中には日本最大の灌漑用ため池である満濃池(香川県中多度郡まんのう町)も含まれる。伊勢国に戻ってからは、津藩の江戸家老となる。その後江戸から伊勢国に戻り、雲出井用水の開削工事に携わる。雲出川は川底が低く、周辺はたびたび干害に見舞われていたが、雲出井用水の完成により、広く農地として実りのある土地になった。 西島八兵衛は水分神社(三重県津市)に祀られている。八兵衛が築いた雲出井用水は、たびたび津藩内を襲った大干ばつから人々を救い、その後の藩内の農業を安定させるという大きな役割を果たした。人々は、八兵衛の功績に大変感謝し、八兵衛の死後、雲出井を三つに分けた分岐点に神社を創建。これが水分神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。

