仁賢天皇 神社の神様 - 神社ファン

仁賢天皇

にんけんてんのう

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仁賢天皇

三英舎(御歴代百廿一天皇御尊影 パブリック・ドメイン)

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  • 仁賢天皇とは?

    仁賢天皇(449?-498?)は記紀などに登場する第24代天皇。『日本書紀』では億計王、大脚など、『古事記』では意富祁王、意祁命などの名で記される。「仁賢天皇」は奈良時代の皇族・文章博士である淡海三船が撰進したとされる漢風諡号である。
    父は第17代履中天皇の皇子・市辺押磐皇子、母は荑媛で、同母弟に後の第23代顕宗天皇となる弘計王がいる。父の市辺押磐皇子は皇位をめぐる争いのなかで、後に第21代雄略天皇となる大泊瀬皇子によって殺害された。身の危険を感じた億計王と弘計王の兄弟は逃亡し、丹波を経て播磨へ身を隠した。兄弟は王族であることを伏せ、長い間播磨で暮らしていたと伝えられている。
    第22代清寧天皇の時代、弟の弘計王が宴の席で兄弟の素性を明かしたことで、市辺押磐皇子の遺児が生存していることが朝廷に伝わった。子のいなかった清寧天皇はこれを喜び、兄弟を宮中へ迎えた。『日本書紀』では弘計王を皇太子、兄の億計王を皇子としたと伝えている。
    清寧天皇が崩御すると兄弟は互いに皇位を譲り合い、その間には飯豊青皇女が政を執ったと伝えられる。やがて兄の億計王が弟に皇位を譲り、弘計王が顕宗天皇として即位した。顕宗天皇が崩御すると億計王が皇位を継ぎ、第24代仁賢天皇となった。
    仁賢天皇は雄略天皇の皇女である春日大娘皇女を皇后とし、多くの皇子女をもうけた。その中には後に第25代天皇となる小泊瀬稚鷦鷯尊(武烈天皇)や、第26代継体天皇の皇后となる手白香皇女らがいる。父を雄略天皇に殺されながら、その雄略天皇の皇女を皇后としたことになり、仁賢天皇の子孫はその後の皇統にも重要な位置を占めた。
    仁賢天皇は兵庫県神戸市の顕宗仁賢神社などで弟の顕宗天皇とともに祀られている。顕宗仁賢神社は、兄弟が播磨に潜伏していた時代に関係する柴垣宮の伝承を伝える神社である。また京都府宮津市の麓神社などでも兄弟が祭神として祀られ、仁賢天皇と顕宗天皇にまつわる伝承が各地に残されている。

    エピソード

    顕宗天皇に皇位を譲り、その後に即位した仁賢天皇
    父の市辺押磐皇子を雄略天皇に殺された後、億計王は弟の弘計王とともに身を隠して暮らした。『日本書紀』は、播磨国(兵庫県)の忍海部造細目の家で二人が見つかり、清寧天皇に迎えられたと記す。清寧天皇の崩御後、皇太子だった億計王は弟に皇位を譲り、弘計王が顕宗天皇として即位した。顕宗天皇の崩御後、億計王が第24代仁賢天皇として即位する。記紀はこの経緯を、兄弟が互いに皇位を譲り合う物語として描いている。仁賢天皇の即位は、父の死によって途絶えかけた市辺押磐皇子の系統が、弟の治世を経て再び天皇位につながる展開でもある。ただし、譲位の経緯は後世に編まれた史書に伝わる叙述として読む必要がある。

    出典・参考:『古事記』清寧天皇段・顕宗天皇段、『日本書紀』清寧天皇紀・顕宗天皇即位前紀・仁賢天皇即位前紀



    父を殺した雄略天皇の娘を皇后に迎える
    仁賢天皇の父・市辺押磐皇子は、雄略天皇に殺されたと記紀は伝える。その後に即位した仁賢天皇は、『日本書紀』によれば、雄略天皇の皇女である春日大娘皇女を皇后に立てた。『古事記』も、仁賢天皇が大長谷若建天皇、すなわち雄略天皇の御子である春日大郎女を娶ったと記している。父を殺した天皇の娘を皇后に迎えるという系譜は、二つの王統が婚姻によって結ばれたことを示す構成として読める。一方、記紀の記述だけから、この婚姻の政治的意図や実際の経緯まで確定することはできない。仁賢天皇の皇后と子どもたちを記す記事は、皇位継承だけでなく、王族間の婚姻によって次代の皇統が形づくられる様子を伝えている。

    出典・参考:『古事記』仁賢天皇段、『日本書紀』仁賢天皇元年2月条



    手白香皇女を通じて継体天皇へつながる皇統
    仁賢天皇の皇女・手白香皇女は、のちに継体天皇の皇后となった。『古事記』は、応神天皇の五世孫とされる袁本杼命を近淡海国(滋賀県)から迎え、手白髪命と結婚させて天下を授けたと記す。『日本書紀』も、継体天皇の后として仁賢天皇の皇女・手白香皇女を挙げる。この婚姻を通じて、仁賢天皇の娘の系譜が継体天皇の皇統へ結びつく。『古事記』の叙述では、手白香皇女との婚姻が継体天皇の即位を語る流れに置かれており、仁賢天皇の家系が次代の皇位継承を説明するうえで重要な役割を果たしている。ただし、記紀が伝える系譜や即位の説明を、そのまま当時の政治状況の確定記録とみなすことはできない。

    出典・参考:『古事記』継体天皇段、『日本書紀』継体天皇元年3月条、福井県文書館「継体天皇の出現(1)」



    高句麗から工人を迎えた記録
    『日本書紀』仁賢天皇6年条は、日鷹吉士を高麗(高句麗)へ遣わし、技術に優れた者を招いたと記す。同年、日鷹吉士は工匠の須流枳・奴流枳らを連れて帰り、記事は大和国山辺郡額田邑の熟皮高麗をその子孫とする。仁賢天皇の治世は、皇位継承や王族の系譜だけでなく、朝鮮半島との往来や技術者の移動を伝える記録も残している。この記事は、工人の渡来を天皇の命による派遣と帰還の形で記し、渡来系の技術者集団の由来を説明している。ただし、記紀の記事だけでは、招かれた工人の具体的な技術や、後世に伝わった集団との関係の全容までは明らかにできない。

    出典・参考:『日本書紀』仁賢天皇6年条、韓国史データベース「日本六国史 韓国関係記事」



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    出典文献

    古事記

    日本書紀

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    億計天皇

    おけのすめらみこと

    日本書紀

    億計王

    おけのみこ

    日本書紀

    大石尊

    おおしのみこと

    日本書紀

    意祁命

    おけのみこと

    古事記

    意富祁王

    おおけのみこ

    古事記

    大脚

    おおし

    日本書紀

    大為

    おおす

    日本書紀

    祀られている主な神社

    天が岡若宮神社
    (兵庫県西区天が岡676)
    石神社
    (愛知県愛西市石田町宮東49番)
    上宮神社
    (京都府与謝野町与謝1771)
    大歳神社
    (兵庫県小野市小田町1276番)
    宗賢神社
    (兵庫県明石市魚住町清水2606番)