真田幸教
さなだゆきのり
- 歴史的人物
- 男神・男性

真田宝物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(松代藩)
江戸~明治 [1836年~1869年]
真田幸教とは?
真田幸教(1836-1869)は江戸~明治時代の武士。真田幸良の子で真田幸世らの親。家督を継ぐ前に父・幸良が死去したため、祖父・真田幸貫は幸教を嫡子とし、1852年に幸教は信濃国(長野県)松代藩9代藩主となった。1853年に浦賀に入港したペリーが翌年再び日本に来航した際に、松代藩は幕府の命により横浜の警備にあたり、その後、京都御所南門警備の任につくため京にも上っている。幸貫の代に計画された藩校・文武学校を完成させ、先進的な教育に力を入れる一方、藩士だけではなく領民からも借り上げを行うほど藩の財政は悪化。破綻の危機に瀕していた。藩主時代に子供のいなかった幸教は、伊予国(愛媛県)宇和島藩主・伊達宗城の子である幸民を迎え養嗣子とした。病弱だった幸教は幸民に家督を譲り1866年に隠居。明治維新の後35歳で死去した。 幸教は白鳥神社(長野県長野市)で祭神としてまつられている。白鳥神社は松代藩の初代藩主・真田信之が海野郷の白鳥神社を勧請したことに始まる。7代藩主・真田幸専が武靖大神として信之を合祀。幸貫の没後100年に併せ、幸教を含む2代からの歴代藩主9柱が合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
