新田義貞
にった よしさだ
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング240位
- 武人
鎌倉~南北朝 [1301年頃~1338年]
新田義貞とは?
新田義貞(1301-1338)は鎌倉時代から南北朝時代に活躍した武将。清和源氏の流れをくむ新田氏本宗家の7代当主新田朝氏の嫡男。母親は諸説あり不詳。鎌倉幕府が河内国(大阪府)の楠正成との戦いの戦費調達のために黒沼彦四郎入道らを新田荘に遣わしたが、その過酷な徴収に反発し義貞は彦四郎入道らを捉え惨殺する。この事件を鎌倉幕府は謀反として討伐の動きを見せるが、義貞は機先を制して討幕の旗印のもと挙兵する。鎌倉街道を進軍する義貞に足利尊氏の嫡男も旗印として加わり、分倍河原では北条群を撃破。勢いに任せて鎌倉幕府を滅亡に追いやる。「太平記」に記された稲村ケ崎で黄金の太刀を海に投げ入れる逸話はあまりにも有名。その後、後醍醐天皇の元左近衛中将、従四位上の官位を得る。しかし、尊氏と後醍醐天皇は反目し、北朝系の天皇を擁立した尊氏と義貞も敵対することになる。やがて、勢力を拡大した尊氏に京を追われる。越後で恒良親王、尊良親王を奉じたうえで息子らと共に態勢を立て直し再起を図るが、北朝軍に攻められ命を落とすことになった。 義貞は群馬県太田市にある新田神社に祭神として祀られている。新田神社は戦国時代の山城新田金山城の本丸跡に明治時代に義貞の後裔によって建立された神社である。鎌倉幕府を滅亡に追いやった武功から勝運の強い祭神として知られ、転じて受験やスポーツの上達などにご利益があるとされている。
ご神徳
学業成就 スポーツ上達



