児島高徳
こじまたかのり
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 武人
鎌倉~南北朝 [~1382年または1383年]
児島高徳とは?
児島高徳(1312?-1382?)は南北朝時代の武将。和田備後児島守範長の子であり、備後三郎の通称でも呼ばれている。児島家の出自には天皇の系譜であるという説と渡来人天之日矛の後裔という説と二つ存在している。高徳は後醍醐天皇による執権北条家の討伐に共鳴し、後醍醐天皇が笠置での挙兵に呼応して備前で蜂起する。後醍醐天皇が隠岐に配流された際にも奪還をもくろむなど、一貫して南朝の武将として活躍。後醍醐天皇と足利尊氏の対立が激化した際にも新田義貞とともに足利方の赤松円心と対するが大敗を喫する。この戦いにおいて父範長は討ち死に、高徳は辛くも逃れて義貞と共に北陸から東国を転戦した。しかし、それらの戦いにも敗れ吉野の後村上天皇のもとへ逃れ、晩年は出家し志純義晴と名乗った。江戸時代になると南朝に仕えた忠義の武将として再評価され、後には文部省唱歌の題材などにも挙げられているが、高徳の記録は太平記以外では見られない事から存在を不定する説も一部では存在している。 高徳は岡山県津山市の作楽神社に後醍醐天皇と共に祭神として祀られている。作楽神社は後醍醐天皇が隠岐に流される際に宿泊した美作国守護の館跡に建立された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
