山木兼隆
やまきかねたか
- 歴史的人物
- 男神・男性

歌川国芳
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [~1180年]
山木兼隆とは?
山木兼隆(?-1180)は平安時代後期の武将。平兼隆または大掾兼隆とも呼ばれる。父は桓武平氏大掾氏の庶流和泉守・平信兼。検非違使少尉として別当平時忠の下で活躍しており、白山事件で天台座主・明雲が処分されることになった際にはその警備にあたった。しかし、父・平信兼の訴えにより理由は定かではないが罪を問われ、1179年に右衛門尉を解任され、伊豆国山木郷に流される。治承三年の政変の後は、懇意にしていた伊豆知行国主・平時忠により伊豆目代に任ぜられ、次第に伊豆で勢力を持つようになる。「曽我物語」によると、伊豆の豪族・北条時政は娘の政子と兼隆との縁談を進めていたが、大番役で京へ上っていた間に政子が源頼朝と恋仲になる。平家の怒りを恐れた時政は政子を兼隆のもとへ送ろうとするが、勝気な政子は頼朝のもとへ逃げて行ってしまう。兼隆は激怒したが、伊豆山権現に庇護された頼朝と政子には手が出せなかったという。1180年、頼朝は以仁王の令旨を受け、最初の攻撃目標として兼隆の館を急襲。三島大社の祭礼のために郎党の多くが留守であり、満足な反撃もできないまま兼隆は加藤景廉によって討ちとられた。 静岡県伊豆の国市韮山山木にある皇大神社は、明治の初め頃に兼隆神社を合祀し、相殿に兼隆を祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
平兼隆たいらのかねたか
その他
大掾兼隆だいじょうかねたか
その他
祀られている主な神社
皇大神社
(静岡県伊豆の国市韮山山木1072)
