山内容堂
やまうちようどう
- 歴史的人物
- 男神・男性

東洋文化協會(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
江戸~明治 [1827年~1872年]
山内容堂とは?
山内容堂(1827-1872)は江戸時代末期から明治時代にかけての人物。容堂は隠居後の法号であり、諱は豊信である。山内豊惇を養父に持ち、その後を継ぎ土佐藩15代藩主となった。青年期は真面目な性格とは言いがたく、酒と女と詩を愛し、自らを鯨海酔侯と称するほどであった。藩主に就任してからは勉学に励み、家老らを押しのけて革新派の吉田東洋を登用し、西洋軍備採用、海防強化、財政改革、藩士の長崎遊学など様々な藩政改革に尽力した。元来明晰な頭脳の持ち主であったこともあり、その活躍は後に幕末の四賢侯の一人に数えられるほどであった。藩政改革に成功した後は幕政にも積極的に介入するが、倒幕に傾く世論の中で幕府への恩義を捨てきれず、どっちつかずの態度をとり続けたため、酔えば勤皇、覚めれば佐幕などと揶揄されるようになった。最終的には時代の流れに逆らえず、坂本龍馬案の船中八策を後藤象二郎から伝え聞くとこれを徳川慶喜に建白。大政奉還のきっかけとなった。維新後は内国事務総裁に就任するが、身分違いの者たちと共に働くことを嫌って辞職し、青年期のように酒と女に溢れた隠居生活を楽しんだという。 容堂は土佐藩の歴代藩主を祀る山内神社(高知県高知市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
山内豊信やまうちとよしげ
その他
