坂上苅田麻呂
さかのうえのかりたまろ
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1003位
- 公卿
- 武人
奈良 [727年~786年]
坂上苅田麻呂とは?
坂上苅田麻呂(727-786)は奈良時代の人物。大和守である坂上犬養を父に持ち、子に坂上田村麻呂らがいる。坂上氏は代々弓馬の道を世職とする武門の一族で、複数の王朝にわたり宮廷に宿営して守護職を務めた。その実力は、橘奈良麻呂の乱の折、首謀者の一人である賀茂角足が仲間を集めるため、武勇に優れた者を集めて開いた酒宴に苅田麻呂を招待したという逸話からも察せられる。藤原仲麻呂の乱の折には、訓儒麻呂によって奪われた皇権の発動に必要な玉璽と駅鈴を奪い返し射殺する活躍を見せており、その結果正六位上から従四位下と5階級昇叙などの大躍進を遂げる。その後は数々の地方官も歴任し、最終的な官位は左京大夫従三位兼右衛士督下総守となった。続日本紀には、苅田麻呂自身が己の血筋の祖は阿知使主にあり、阿知使主は後漢の霊帝の曾孫であると述べたと記されている。 苅田麻呂を祀る神社は複数あり、なかでも有名なのは在田神社(岡山県笠岡市)である。900年頃の延喜式神名帳に記載されている古い式内社で、苅田麻呂は鉄鉱及び水銀採掘の犬一族の神としても祀られている。また、息子の田村麻呂が再建した岩木山神社(青森県弘前市)も苅田麻呂を祀る神社として有名である。
ご神徳
ご神徳は不明です。



