細川忠利
ほそかわただとし
- 歴史的人物
- 男神・男性

矢野吉重(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 大名
安土桃山~江戸 [1586年~1641年]
細川忠利とは?
細川忠利(1586-1641)は江戸時代の人物。細川忠興を父に持ち、母は正室の明智玉子である。三男という政治的には弱い立場であったが、長男が関ヶ原の戦いの後廃嫡され、次男はかつて忠興と不仲だった興元の養子であったことから不興を買い、忠利が跡継ぎに指名された。この結果、忠利は豊前小倉藩の第2代藩主および肥後熊本藩の初代藩主を歴任した。幼い頃は病弱で、心配した玉子がキリスト教の洗礼を受けさせたとの逸話も残っているが、定かではない。それを克服するためか、忠利は武芸に熱心で特に剣の道を深く極めた。柳生宗矩に剣を習い、秘伝書を伝えられた逸話は有名である。また、宮本武蔵を客分として招いたとの記録も残っている。その甲斐あってか、島原の乱では一番槍に立ち武功を挙げている。忠利は父に反して律儀で思いやりの深い人物であったとされており、父の怒りを買って家を出ることになった兄二人を案じる手紙を送ったり、徳川家と忠興の間の調和に尽力したりと気遣いの深さが伝わる逸話が残されている。また、加藤家改易後の熊本藩を任されたことから、幕府からの信頼が厚かったことも窺える。 忠利は出水神社(熊本県熊本市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
