細川斉護
ほそかわなりもり
- 歴史的人物
- 男神・男性

永青文庫所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(宇土藩)
江戸 [1804年~1860年]
細川斉護とは?
細川斉護(1804-1860)は江戸時代後期の熊本藩第10代藩主。肥後宇土藩(熊本県宇土市)の第7代藩主細川立之の長男であり、第8代熊本藩主細川斉茲の孫にあたる。1826年に第8代宇土藩主となるが、同年に宗家の細川斉樹の跡を継ぎ熊本藩主となる。宇土藩主時代は立政と名乗る。斉茲の養嗣子となり家督を継承する際に、斉の文字は第11代将軍徳川家斉から偏諱をいただき斉護と改名した。以降、護の文字は細川家の通字となっている。当時の熊本藩は代々続いた出費に加えて、欧米列強に対する防備として天草地方や相模湾などの警備を命ぜられ藩の財政はひっ迫していた。藩主となった斉護は藩の財政を立て直すための改革に着手する。しかし、その改革が幕末の政治家であり思想家でもある横井小楠が率いる改革推進派の実学党と、藩内の保守派である学校党の間での確執を呼び起こした。その結果、内政は二分化され改革は果たすことはできないまま、斉護は困窮した藩の現状を憂いながらも57歳で死亡した。 斉護は熊本県熊本市の水前寺公園内に鎮座する出水神社に初代細川藤孝以降の歴代藩主と共に祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
細川立政ほそかわたつまさ
その他
祀られている主な神社
出水神社
(熊本県中央区水前寺公園8−1)
