細川宗孝
ほそかわむねたか
- 歴史的人物
- 男神・男性

永青文庫所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(熊本藩)
江戸 [1716年~1747年]
細川宗孝とは?
細川宗孝(1716-1747)は、江戸時代中期の大名。肥後国熊本藩5代藩主。熊本藩細川家6代当主。4代藩主・細川宣紀の四男。初めは長岡姓であったが、兄たちが若くして亡くなったために嫡男となり、細川に改姓した。1732年、父・宣紀の死去に伴い16歳で家督を相続した。当時の熊本藩は、父・宣紀の時代から洪水・飢饉・旱魃などの天災に悩まされて、大変な財政難となっていた。宗孝が藩主となった翌年からも参勤交代に使用される大船の建造費が重くのしかかり、さらには洪水・飢饉・疫病などの天災が起こり、多難な藩政を強いられた。1747年、月例拝賀式のため登城し、大広間脇の厠に立った際、旗本寄合席の板倉勝該に突然背後から斬りつけられ絶命。勝該は安中藩主・板倉勝清が自分を廃するのではないかという勝手な思い込みから、宗孝を勝清と勘違いし、刃傷に及んだのだった。細川家の「九曜」紋が板倉家の「九曜巴」紋とよく似ていたことが原因だったと言われる。殿中での刃傷を起こしたうえに世継ぎもいない細川家は改易の窮地に陥るが、たまたまそこに居合わせた仙台藩主・伊達宗村が機転を利かせ細川家の家臣たちに「越中守殿にはまだ息がある、早く屋敷に運んで手当てせよ」と命じた。家臣たちは宗孝の遺体を城中から細川藩邸に運び込み、その間に藩主宗孝の弟・紀雄(のちの重賢)を末期養子として幕府に届け出て、事なきを得たという。 熊本県熊本市中央区の水前寺成趣園内にある出水神社に、宗孝含め細川家歴代当主たちが御祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
細川紀達ほそかわのりたつ
その他
祀られている主な神社
出水神社
(熊本県中央区水前寺公園8−1)
