細川綱利 神社の神様 - 神社ファン

細川綱利

ほそかわつなとし

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
細川綱利

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(熊本藩)

江戸 [1643年~1714年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 細川綱利とは?

    細川綱利(1643-1714)は、第3代肥後熊本藩主、熊本藩細川家4代当主。第2代藩主細川光尚の長男。6歳の時に父・光尚が死去したが、綱利が幼すぎたため、通常であれば細川家は改易されかねない窮地に立たされた。しかし光尚の幕府へ肥後領地を返上する旨の遺言に、家臣たちの懸命な奔走も相まって、1650年に幕府目付と親戚の豊前小倉藩主・小笠原忠真の監督を受けながら綱利が相続することが認められた。1702年、例日のために江戸城に登城していた綱利は、老中稲葉正通より、大石良雄はじめ赤穂浪士17人のお預かりを命じられた。細川家家老三宅藤兵衛は軍勢847人を率いて受け取り、17人の浪士を1人ずつ身体検査してから駕籠に乗せた。義士たちと対面した綱利はすっかり感銘し、厚遇をもって迎えた。毎日の食事が豪華すぎて、大石らが普通の食事にしてほしいと嘆願したほどだったという。そんな義士たちの助命を幕府に嘆願した綱利だったが、1703年ついに赤穂浪士たちを切腹させるようにとの幕府からの命令が届いた。綱利はせめてと重臣に介錯を任せ、義士たちの葬儀料と寺への布施も支払ったという。このような綱利の義士たちに対する厚遇は、江戸の庶民からも称賛を受けており「細川の 水の(水野)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」と狂歌からも窺われる。これは細川家と水野家が義士を厚遇したことを称賛し、毛利家と松平家が待遇が良くなかったことを批判したものである。 熊本県熊本市中央区の水前寺成趣園内にある出水神社に、綱利含め歴代の細川家当主たちが祭神として祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    出水神社
    (熊本県中央区水前寺公園8−1)