細川護久
ほそかわもりひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(熊本藩)
江戸~明治 [1839年~1893年]
細川護久とは?
細川護久(1839-1893)は江戸~明治時代の武士・華族。細川斉護の子。兄弟には細川韶邦、津軽承昭、長岡護美らがいる。妻は佐賀藩主鍋島直正の娘・宏子など。肥後国(熊本県)熊本藩主斉護の三男として生まれる。幕末から明治にかけて、最後の藩主として熊本藩の大規模な藩政改革に奔走する。兄・韶邦の跡を継ぎ熊本藩知事となると、弟の護美を大参事として起用。藩内の実学派から人材を登用し藩政の大改革を行った。雑税の免除や熊本洋学校、古城医学校の創設などは、当時の政治・教育に大きな影響を与える画期的なものとなった。明治の廃藩置県を経て熊本県知事となり、華族令が制定されると侯爵の位を授かり貴族院議員などを歴任した。熊本県護国神社は、明治維新に殉じた藩士の霊を慰めるために、韶邦と護久が建立した招魂社が始まりとされる。 護久は出水神社(熊本市水前寺公園)で祭神としてまつられている。西南の役の後に、藩主の霊をまつるため旧藩士たちによって社殿が創建された。出水神社のある水前寺成趣園は細川家ゆかりの庭園として知られ、細川家歴代の藩主たちも合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
細川喜廷ほそかわのぶたか
その他
祀られている主な神社
出水神社
(熊本県中央区水前寺公園8−1)
