佐竹義堯 神社の神様 - 神社ファン

佐竹義堯

さたけよしたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
佐竹義堯

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1003位

  • 藩主(岩崎藩
  • 久保田藩)

江戸 [1825年~1884年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 佐竹義堯とは?

    佐竹義堯(1825-1884)は江戸〜明治時代の人物。相馬益胤の子、佐竹義生らの親。陸奥国相馬中村藩(福島県相馬市)主の三男として生まれる。久保田藩の支藩である新田藩藩主の佐竹壱岐家に養子として入り、のちに本藩である久保田藩主の病死により、久保田藩の家督を継ぐ。義堯が藩主となった頃の久保田藩は財政が逼迫しており、義堯は自らも質素倹約に努め、人事に手を入れるなど積極的に藩政を立て直しに尽力した。戊辰戦争時には、東北の諸藩で結んだ奥羽越列藩同盟から離脱し、新政府軍側につく。版籍奉還後、義堯はそのまま久保田藩知事の職に就くが、のちの廃藩置県により、職を解かれる。廃藩置県後は秋田を離れ、東京に暮らす。晩年、義堯が侯爵となったことにより、佐竹家は侯爵家となる。藩主の時代には、たびたび上洛していたが、本人は持病の喘息もあり、病気がちであった。義堯の喘息治療のために完成されたのが、龍角散である。 佐竹義堯は八幡秋田神社(秋田県秋田市)、秋田神社(秋田県横手市)に祀られている。八幡秋田神社は久保田藩の本拠地久保田城の跡地、秋田神社は同じく久保田藩の城であった横手城の跡地に建てられており、義堯も久保田藩最後の藩主として、初代藩主である佐竹義宣とともに祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    相馬宗胤

    そうまむねたね

    その他