国司親相
くにしちかすけ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- 家老(長州藩)
江戸 [1842年~1864年]
国司親相とは?
国司親相(1842-1864)は江戸時代の人物。長州藩士高洲元忠を父に持ち、国司信濃の名で知られる。次男であったために国司迪徳の養嗣子となり、6歳で家督を継ぎ大組頭となる。家柄もよく聡明で文武両道に優れていたことから、成長するにつれて頭角を現し、1863年には長井雅楽の切腹検視役正使を務めている。黒船が来航してからは久坂玄瑞らと共にアメリカ船ペンブローク号を砲撃し、下関を封鎖するなどの功績を残し、朝廷からも褒勅の沙汰を賜わった。八月十八日の政変で長州藩が京都から追い出されると、影響力を取り戻すために挙兵。禁門の変を引き起こすも、薩摩藩、会津藩の連合軍相手に大敗を喫してしまう。続く第一次長州征伐でも西郷隆盛率いる大軍に敗北すると、その責任を負って自刃した。共に自刃を強いられた三家老の中で、実力だけでこの地位まで上り詰めたのは親相だけであった。 親相は美登里神社(山口県宇部市)に祀られている。この神社は国司家の屋敷跡に建てられており、養嗣子にあたる国司健之介純行によって創建された。御神体は短冊と短刀であったが、後に親相愛用の手鏡に変更されている。また、万倉護国神社(山口県宇部市)も親相を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
国司信濃くにししなの
その他
祀られている主な神社
万倉護国神社
(山口県宇部市大字西万倉496番地)
