溝口秀勝
みぞぐちひでかつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし

宝光寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 大名
戦国~江戸 [1548年~1610年]
溝口秀勝とは?
溝口秀勝(1548-1610)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。越後国新発田藩の初代藩主である。溝口勝政の長男で、妻は長井源七郎の娘。幼名を竹丸、のち元服して金右衛門尉定勝と称した。幼いころから丹羽長秀に仕えていたが、1581年に織田信長から才能を見いだされ、直臣として若狭国大飯郡高浜城に5,000石を与えられた。本能寺の変以降は羽柴秀吉に仕える。1583年の賤ヶ岳の戦い後、越前国北ノ庄城に入封した丹羽長秀の与力として、加賀国江沼郡大聖寺城4万4000石を与えられた。その後も長秀の長男・長重、堀秀政の与力も務め、秀吉からは朱印状を与えられ、独立した大名となった。1586年、秀吉から「秀」の字を賜って秀勝と改名し、豊臣姓を授与される。朝鮮派兵の際は、肥前国名護屋城を守備し、1598年に越後蒲原郡新発田城6万石を与えられた。この際、一族や家臣、付き合いのあった商人や職人たちの他、越前時代の農民たちまでも大勢が付き従い同地に入り、新発田城の普請や城下町の建設、未開墾地の多い新発田の地の検地や治水に尽力した。関ヶ原の戦いでは東軍に与し、上杉景勝が煽動した上杉遺民一揆の鎮圧をした。戦後は徳川家康から所領を安堵され、新発田藩初代藩主となる。1610年、63歳で死去。 新潟県新発田市諏訪町にある諏訪神社では、溝口秀勝を御祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
