護良親王
もりよししんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング374位
- 皇族
鎌倉~南北朝 [1308年~1335年]
護良親王とは?
護良親王(1308-1335)は鎌倉時代末期の人物。後醍醐天皇の子で興良親王らの親。母は源師親の娘・親子。南朝初代天皇である父・後醍醐天皇の第三皇子として生まれた護良親王は、幼少の頃より利発聡明な頭脳の持ち主であったと伝わる。事実、護良親王は弱冠20歳にして天台宗門の最高峰たる天台座主に就任していた。元弘の乱の頃には還俗し、熊野・吉野辺に潜行して鎌倉幕府討幕のため挙兵している。建武の新政では征夷大将軍に任じられるが、武家が台頭すれば戦乱の世が訪れると主張したことから足利尊氏と対立することになり、またその頃には後醍醐天皇との関係にも不和が生じていたことで、謀反の罪を着せられて鎌倉の東光寺に幽閉されてしまう。護良親王は約10ヵ月の幽閉の後に殺害され、28歳の若さでこの世を去った。 生前の護良親王は武芸を好み、仏教の修行や学問には一切関わらない特殊な天台座主であったという。歴代の天台座主に比べて信仰心は薄かったが、武器の取り扱いについては免許皆伝の腕前であったと記録されている。1869年には明治天皇の勅命により、幽閉所のあった東光寺跡には「鎌倉宮」が創建され、護良親王が主祭神として祀られた。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
大塔宮だいとうみや
その他
