源経基
みなもとのつねもと
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング776位
- 皇族
- 武人
平安 [~961年]
源経基とは?
源経基(?-961?)は平安時代の武士。貞純親王の子で源満仲らの親。父が清和天皇の第6皇子であったため六孫王と呼ばれた。源の姓を賜り、後裔には足利氏、新田氏、細川氏など名だたる武将を多数輩出していることから、清和源氏の祖と呼ばれている。武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県)の国司として赴任するが、地元の豪族と争い帰京。この際に仲裁に入った平将門について謀反ありと朝廷に報告するが、朝廷は将門の言い分を認め経基を讒言の罪で拘禁する。この後、将門が実際に乱を起こすと放免され、訴えは事実であったとして従五位下の位が与えられた。経基は乱の鎮圧に征東軍副将軍として出陣。続いて起きた藤原純友の乱では、追捕次官として小野好古に従って鎮圧に向かい、反徒の桑原生行を捕らえた。武蔵国、信濃国(長野県)、筑前国(福岡県)などで国司を務めた後は、鎮守府将軍に任ぜられた。経基は文人としても知られ、「拾遺和歌集」では経基の和歌2首が取り上げられている。 経基は六孫王神社神社(京都市南区)で祭神としてまつられている。経基の館「八条亭」の跡地に嫡男の満仲が父を埋葬し、そこに社殿を建立しまつったとされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
六孫王ろくそんおう
その他




