源為朝
みなもとのためとも
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年

国文学研究資料館(日本百将伝 - 歌川国芳 CC BY-SA 4.0)
祭神ランキング303位
- 武人
平安 [1139年~1170年]
源為朝とは?
源為朝(1139-1170)は平安時代末期の人物。源為義の子で、源頼朝・源義経の叔父にあたる。「六条判官」の通称でも知られる京の武将・源為義の八男として生を受けるが、手に負えない乱暴者であったため13歳にして勘当された。ところが追放された先の九州でも手下を集めて暴れまわり、わずか3年で九州一帯を征服して「鎮西八郎」を名乗り出す。為朝は悪名高い男であると同時に、2メートルを超える巨体と剛弓の腕を備えた一流の武人としても知られていたのである。1156年の保元の乱では敗戦して流刑に処されるが、流された先でも国司に逆らって暴れ、瞬く間に伊豆諸島を支配下に収めてしまう。流刑後も傍若無人に振舞い続けた結果、とうとう為朝は正式に討伐対象となり、500余騎・20艘もの軍勢に攻め入られた末に自害してこの世を去った。 江戸時代には為朝の名を聞いただけで疫病神が退散すると信じられていた他、為朝の子が琉球王国(現在の沖縄県)の祖となったという伝説があるなど、為朝を信仰する文化は未だ全国各地で根強い。為朝ゆかりの神社はいくつもあるが、中でも為朝が幼少期を過ごした大分にある「為朝神社」は著名である。
ご神徳
別称・異称
鎮西八郎ちんぜいはちろう
その他
祀られている主な神社
沖縄神社
(沖縄県那覇市首里当蔵町三丁目1番)
八龍神社
(宮城県丸森町舘矢間舘山字東原159 )
白人神社
(徳島県美馬市穴吹町口山字宮内2)
為朝神社
(宮城県青葉区川内中ノ瀬23 )
猿田神社
(高知県日高村沖名257番)
