橘周太 神社の神様 - 神社ファン

橘周太

たちばなしゅうた

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
橘周太

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • その他

江戸~明治 [1865年~1904年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 橘周太とは?

    橘周太(1865-1904)は明治時代の人物。庄屋・城代季隣の子で、先祖には第30代天皇・敏達天皇がいる。鎌倉時代末期の武将・楠木正成も同族の系譜。肥前国の千々石村(現在の長崎県雲仙市)で生まれた周太は陸軍士官学校へ進学し、着実に軍人として成長を遂げていく。27歳で時の皇太子殿下(後の大正天皇)の教育係に抜擢され、38歳では陸軍地方幼年学校長に任ぜられていることからも、その教育手腕が高く評価されていたことが伺える。軍で高い地位に就きながらも、常に下の者を思い遣る人格者であったことから、周太は部下たちに厚く尊敬されていた。その人望たるや、周太が歩兵第34連隊第1大隊長に任命された際、部下の幕舎から歓声が上がったと伝わるほど。しかし周太は大隊長として出征した日露戦争にて銃弾に撃ち抜かれ、40歳という若さで生涯を終えてしまう。死後、周太は陸軍出身者として初めて「軍神」と称され、新聞や教科書に掲載され戦意高揚に一役買った。 終戦後には、周太を祭神として祀る「橘神社」が創建されている。橘神社から望む海域はもともと千々石湾と呼ばれていたが、海図作成を行った海軍水路部により「橘湾」と正式に改められた。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。