吉川広嘉
きっかわひろよし
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- その他
江戸 [1621年~1679年]
吉川広嘉とは?
吉川広嘉(1621-1679)は、江戸時代前期の周防国岩国領の第3代領主。父は第2代領主・吉川広正。1624年に人質として江戸に入り、1630年に将軍徳川家光にお目見えした。同じ年には弟の吉川就紀が新たな人質となり、広嘉は帰国した。1663年、父広正が隠居するとともに広嘉が家督を継いだが、元々病弱だったので京都で療養しながら学問と京風を身につけ、狩野探幽などをはじめとする後年の錦帯橋架橋にも繋がる人脈を作った。領主としても、瀬戸内沿岸二千町歩を干拓し耕地を拡大し、領札を発行するなどの功績がある。最大の功績は、1673年から1674年にかけて錦川に架橋工事を行い、錦帯橋を架橋したことである。特に1674年の工事は緻密を極め、橋は第二次世界大戦後にキジヤ台風で崩壊・流失するまで一度も損壊しなかった。広嘉は1679年に死去し、長男の広紀が跡を継いだ。 岩国市横山に、歴代の吉川氏を祀る吉香神社がある。また、その傍にある吉香公園内には吉川広嘉像が建てられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
吉香神社
(山口県岩国市横山2丁目8番5号)
