間宮康俊
まみややすとし
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国 [1518年~1590年]
間宮康俊とは?
間宮康俊(1518-1590)は戦国時代の人物。間宮信元の子、間宮信高らの親。玉縄北条家に仕え、家老を務めている。戦により焼失した鶴岡八幡宮の造営、江戸湾岸と三浦半島の監視警備の任にも就いていた。豊臣秀吉の小田原征伐の際には、秀吉の敵である北条側として善戦したが、敗戦の色が濃くなり、戦死。その際、「白髪の首を敵に差し出すのは恥である」として、墨汁で髪を染めて戦に赴いたと伝えられている。 間宮康俊は、天照大神宮(神奈川県横浜市港南区)に、間宮豊前守祖先霊としてほかの当主とともに祀られている。康俊の父、信元の時代には、笹下城(ささげじょう)を築城し、間宮家当主が住んでいた。天照大神宮はこの笹下城があった地域の総鎮守とされており、地域を治めた間宮家の当主も合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
