鎌倉景正
かまくらかげまさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

歌川芳員

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング179位
- 武人
平安 [1069年~]
鎌倉景正とは?
鎌倉景正(?-?)は平安時代末期の人物。鎌倉景成、もしくは景通(景道)の子とされる。相模国(神奈川県)の武家で桓武平氏の系統である鎌倉家に生まれる。本姓は平で、名は景政とも。通称は権五郎。奥羽(東北地方)で起こった後三年の役に、当時陸奥守であった主君の源義家と共に参加。『後三年記』に、敵方に片目を射られながらも即座に射返し、味方の兵が矢を引き抜こうと景正の顔に足をかけたところ、生きながら顔を踏まれるのは武人の恥であると怒って止めさせたという逸話がある。また東北・関東各地に、景正が目を洗ったところ、片目の生き物が現れるようになったという伝説の残る川や池が多数存在する。役の後は鎌倉武士団を率いて相模国に大庭御厨を創設し、伊勢神宮に寄進。開発領主としても名を残した。子孫は大庭氏を称し、荘園の管理にあたった。後世においては、江戸時代に好評を博した歌舞伎の演目『暫』の主人公としても知られている。しかし役名は何度か変遷しており、景正の名は明治時代になってから用いられたものである。 景正は鎌倉地域を中心に各地の御霊神社で祀られており、鎌倉市坂ノ下の御霊神社は権五郎神社とも呼ばれている。他に五郎神社(群馬県)・豊景神社・鎌倉神社(福島県)など。ご利益は眼病平癒・厄災消除などである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
平景正たいらのかげまさ
その他
源正霊神げんしょうれいじん
その他
祀られている主な神社
多田野本神社
(福島県郡山市逢瀬町多田野字宮南66)
豊景神社
(福島県郡山市富久山町福原字福原1番地)
五靈神社
(群馬県高崎市貝沢町332番地)
御霊神社
(神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9)
青阪神社
(岐阜県関ケ原町今須3519番地の1)
