花山院長親 神社の神様 - 神社ファン

花山院長親

かざんいんながちか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 公卿
  • 学者
  • 僧侶

南北朝~室町 [1347年~1429年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 花山院長親とは?

    花山院長親(1346頃-1429)は南北朝・室町時代の歌人であり学者。正二位内大臣花山院家賢の子であり、祖父は大納言花山院師賢である。母親の詳細は不明だが同じく南北朝時代の歌人として「新葉和歌集」などに作品が残っている。長親に関する南朝時代の経歴は定かではないが、中納言、文章博士などの任官を経て右近衛大将、ついには内大臣の官職に至っている。長親は南朝時代に後村上天皇や宗良親王など朝廷からの信任も厚く、1365年「内裏三百六十首歌」つづいて「三百番歌合」「五百番歌合」などの和歌会で作者として名を連ね、「新葉和歌集」の選定にも力を尽くしている。南朝が終焉を迎えるころには吉野を離れ流浪の生活を過ごしたのちに花山院家の菩提寺である東山の如住院の住職となる。やがて南禅寺の塔頭となる耕雲庵を構え、その庵名から耕雲上人と呼ばれるようになった。応永年間には将軍足利義満の信任を得て歌道師範を務めている。 長親は権大納言長親卿として群馬県甘楽郡妙義町に鎮座する妙義神社に日本武尊、豊受大神、菅原道真らと共に祭神として祀られている。妙義という地名は長親がこの地に在住した際に妙義山の奇岩を「明々魂々たる山の奇勝」と言い表し、その明魂が転じて妙義となったと伝えられている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    耕雲

    こううん

    その他

    子晋明魏

    ししんみょうぎ

    その他

    祀られている主な神社

    妙義神社
    (群馬県富岡市妙義町妙義6番地)