河野通春
こうのみちはる
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
室町~戦国 [1421年~1482年]
河野通春とは?
河野通春(1421-1482)は室町時代後期~戦国時代にかけての人物。河野通元の子で、河野通之の孫。伊予国(愛媛県)の豪族・河野氏の分家にあたる予州家に生まれ、親の代から続く家督争いに生涯を翻弄された。予州家と河野氏宗家は、家督と伊予国の守護の座を巡って激しく争っていたという。特に当時の惣領家であった河野教通と通春の因縁は深く、互いに有力な武将を援軍につけて伊予各地で戦を繰り返していた。室町幕府の有力者・細川勝元も通春を支援した武将の一人であり、その支持によって一時は伊予守護の座を勝ち取った道春であったが、後に勝元が伊予国の直接支配を目論んだことをきっかけに不和となっている。惣領家の教通のみならず、勝元まで敵に回しながらも、通春は諦めることなく抗い続け、1482年に病没するまでの間に4度も伊予守護を務めた。 通春が居城とした港山城のふもとには湊三嶋大明神社があり、通春は足利勢と合戦死後の霊を尊崇篤く祀っていたと伝わる。道春自身も湊三嶋大明神社に祀られており、同神社が河野水軍の信奉を集めていたことから、海上安全のご利益があるとされている。また、毎年8月の第1日曜日には「河野通春公御霊祭り」が執り行われる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
湊三嶋大明神社
(愛媛県松山市港山町1925番)
