永谷宗円
ながたにそうえん
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1527位
- その他
江戸 [1681年~1778年]
永谷宗円とは?
永谷宗円(1681-1778)は江戸時代中期の茶業家。本名は永谷宗七郎義弘。祖先の永谷家は山城国侍だったと言われている。江戸中期には宇治はすでに茶栽培や製茶の名産地となっており、宗円の生家のある湯屋谷は宇治市街から約10kmほど山あいに入った集落だった。当時の富裕層は抹茶を好んで飲んでいたが、庶民は色が悪く味も粗雑な煎茶を飲んでいた。宇治以外でも茶栽培はされていたが、高品質の碾茶の製造を幕府から許されていたのは宇治のごく一部の茶師のみだった。宗円はそんな中、無許可で15年間製茶の研究をし、1738年、湯で茶葉を蒸したのちに焙炉の上で手もみして乾燥させる手法を発明。ついに鮮やかな緑色の美味しい煎茶(正確には「だし茶」と呼ばれる)を完成させ、のちの日本緑茶の源流を作り上げた。その茶を携え江戸へ向かい、茶商の山本嘉兵衛に販売を依頼したところ飛ぶように売れ、大儲けした山本山は1875年まで毎年永谷家に小判25両を贈っていた。 1716年~1736年頃近郷の暗渠排水工事を行った功績から人々に「干田大明神」と称された。また、1954年には永谷宗円生家に隣接する大神宮神社に「茶宗明神」として祀られた。
ご神徳
ご神徳は不明です。

