一条兼定 神社の神様 - 神社ファン

一条兼定

いちじょうかねさだ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
一条兼定

龍集寺所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1003位

  • 公卿
  • 大名

戦国~安土桃山 [1543年~1585年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 一条兼定とは?

    一条兼定(1543-1585)は一条房基の嫡男として生まれ、房基が29歳の若さで自殺して果てたために7歳で当主となる。土佐一条家は公家より転身した武家であり、所領の中村は「中村御所」と呼ばれるほどの繁栄を得ていた。九州豊後の大友宗麟の娘を妻に娶り、その助力を得て隣国の伊予国への侵攻を図るが、伊予国を援護した毛利元就の勢力により敗戦する。この頃より四国制覇を狙う長曾我部元親が台頭し、兼定の娘が嫁いでいた安芸国が滅亡に追い込まれ兼定と元親は敵対関係となった。兼定は元親への対抗を強めるが、重臣である土居宗珊をいわれなき謀反の罪で処刑したために家臣の人心は離れてしまい、元親が土佐に侵攻した際には家臣が次々と寝返る結果となり土佐を追放される。軍記書物である「土佐物語」では兼定は横暴で暗愚な領主として描かれているが、同時に兼定は大友宗麟などの影響を受け、イエズス会から洗礼を受けた熱心なキリシタンでもあった。洗礼名はドン・パウロといい、イエズス会司祭のアレッサンドロ・ヴァリニャーノの書簡では敬虔で熱心な信仰生活を送っていると報告されている。土佐を追われた兼定の後継は嫡子の内政が継いでいるが、長曾我部の傀儡であり、実質上は兼定の代で土佐一条家は滅んだといえる。 兼定は土佐一条家代々の当主と共に中村神社に祭神として祀られている。中村神社は中村御所と呼ばれた一条家の館跡に1607年に旧一条家家臣の手によって建立された祠が創始である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    一条神社
    (高知県四万十市中村本町1丁目3)