一条教房
いちじょうのりふさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 公卿
室町~戦国 [1423年~1480年]
一条教房とは?
一条教房(1423-80)は土佐一条家の当主である。一条家の本姓は藤原家であり、九条家・二条家・近衛家・鷹司家と並ぶ五摂家の一つに数えられる名門の家柄である。教房は摂政、関白、太政大臣など朝廷の要職を歴任し従一位の位を授けられていたが、1467年に勃発した応仁の乱の混乱を避け、土佐幡多荘(現在の高知県四万十市周辺)に下向した。そもそも幡多荘は鎌倉時代初期に源頼朝より下賜された一条家に代々伝わる荘園であった。室町時代後半頃より乱世と呼ばれる世情となると共に荘園からの年貢も滞り、加えて武士の台頭により一条家の支配は有名無実化していた。教房は四万十川下流の中村に館を構えて土着し、幡多荘の再興を図り、支配力の回復を図ることとなる。やがて、中村は教房と帯同した公家や僧侶、職人たちの尽力もあり、寺社や街並みがまたたくまに整備され、ついには「中村御所」とまで呼ばれるまでの繁栄を勝ち取ることになる。土佐一条家は公家から武家に転身し所領を統治した大名として、北畠氏・姉小路氏と共に「三国司」の一家に数えられている。 教房は中村神社に祭神として祀られている。主祭神の若藤男命と若藤女命は、教房の実父である一条兼良とその夫人の神格化した祭神であり、中村神社には教房の他にも土佐一条家5代の当主も祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
一条神社
(高知県四万十市中村本町1丁目3)
