伊達成実
だてしげざね
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 藩士(仙台藩)
戦国~江戸 [1568年~1646年]
伊達成実とは?
伊達成実(1568-1646)は戦国時代末期から江戸時代前期の武将。父は伊達実元、母は鏡清院。伊達政宗の重臣で、血縁関係にあった。 幼少に時宗の専念寺住職であった了山和尚のもと学問を収め、11歳にて元服。15歳で政宗に仕え、大森城主となる。1585年の人取橋の戦いにおいて伊達勢が壊滅寸前となる中で政宗を逃がす活躍をした。また1588年の郡山合戦では、わずかな兵で戦をしのぎ、大内定綱を寝返らせることに成功。1589年の摺上原の戦いでは劣勢の中で敵の側面を強襲して戦況を覆すなど、成実は重要な戦で活躍し伊達家の領土拡大に貢献した。 1590年葛西大崎一揆の鎮圧に向かい、1592年には朝鮮出兵にも従軍したが、その後突然伊達家を出奔したとされている。1600年に帰参した後は政宗の娘・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝の婚礼の使者を務め、1614~1615年の大坂の役に出陣などの大役も果たす。主君政宗没後は政宗次男の忠宗のもとで長老として仕えた。 成実は灌漑設備を整え、塩田を開発するなど領地の整備にも力を注いだ。北海道札幌市の琴似神社は琴似に屯田兵が入植した際に祀られた神社であり、一部の屯田兵の出身地であった仙台藩亘理伊達氏の祖である伊達成実を武早智雄神として祭神としたと伝えられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
武早智雄命たけはやちのみこと
その他
