若藤男命
わかふじお
- 歴史的人物
- 男神・男性

国文学研究資料館(CC BY 4.0)
祭神ランキング1527位
- 公卿
- 学者
室町 [1402年~1481年]
若藤男命とは?
一条兼良(1402-1481)は室町時代中期の公卿。兼良は土佐一条氏の始祖として神格化され若藤男命と呼ばれている。父親は関白一条経嗣、母親は東坊城秀長の娘。兼良は父兼良の後ろ盾のもと20歳の若さで内大臣となり、その後も摂政、関白、太政大臣と歴任している。また、兼良は若年より五百年来の大学者と讃えられるほど文学に秀でた才能を有していた。晩年には応仁の乱の難を逃れて奈良に避難。京お一条室町邸や桃花坊と呼ばれる貴重な文庫など全てを失うが、後年京に戻るまでは日野富子らの庇護のもと奈良に留まり学芸に専念、多くの書物を残し、伊勢や美濃などにも旅をしている。しかし、応仁の乱により一条家は近衛・鷹司・九条・二条氏と並んで五摂家の一つに数えられる名門の家柄であっても例外ではなかった。兼良の子一条教房は一条家の荘園である土佐に逃れ、有名無実であった荘園を再興し土佐一条家として戦国大名家に変貌していくことになる。 兼良は高知県四万十市にある一條神社に祭神として祀られている。一條神社は土佐一条氏の居館跡に建立された神社であり、神紋は藤原家に由来し高貴な家柄を現す「下り藤」である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
一条兼良いちじょうかねよし
その他
