大若子命
おおわかこのみこと
- 神話・伝説
- 男神・男性

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大若子命とは?
大若子命は古代の史料や伊勢神宮に関係する伝承に登場する男神。大若子神とも表記され、大幡主命とも呼ばれる。伊勢神宮の祭祀を担った度会氏の祖神として伝えられている。
大若子命の系譜には複数の伝承がある。神宮関係の系譜では天御中主神の後裔である彦久良為命の子とされる一方、神武天皇の東征に際して伊勢を平定したと伝えられる天日別命の子とする説もある。いずれも大若子命を伊勢地方の有力な氏族や神宮祭祀に関係する祖神として位置づける伝承である。
『倭姫命世記』などの神宮関係史料では、倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて伊勢を巡行した際、大若子命がこれを迎えて土地の案内をしたと伝えられている。大若子命は倭姫命の伊勢巡行を助け、伊勢神宮の鎮座に関わった人物として語られ、後世には神宮の大神主を務めた度会氏の祖として重視された。
また神宮関係の伝承では、越国に朝廷に従わない阿彦という者がいたため、大若子命がこれを討伐したとされる。討伐を成し遂げて大いに幡を掲げて帰還したことから、大幡主命の名を与えられたと伝えられている。このため大若子命と大幡主命は同一の神として信仰されてきた。
古代には大若子神として朝廷から神階を授けられており、『日本三代実録』貞観元年(859)には正四位下から正四位上へ昇叙されたことが記されている。こうした古代史料に見える大若子神と、倭姫命への奉仕や阿彦討伐を伝える神宮関係の伝承は、史料の成立時期を区別して捉える必要がある。
三重県松阪市の櫛田神社では大若子命を主祭神として祀っている。同社の伝承では、倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて巡行した際、大若子命が伊勢・志摩への道案内を務めたという。倭姫命が当地の田に櫛を落とすと大若子命が拾って差し上げ、これをきっかけとして土地を「櫛田」と名づけ、櫛田社を定めたと伝えられている。大若子命は伊勢神宮の鎮座を助けた神、度会氏の祖神として崇敬されている。
エピソード
『続日本後紀』承和3年(836)11月7日条は、山城国葛野郡の梅宮社に祀られる神々のうち、大若子神と小若子神に従五位下を授けたと記す。さらに承和10年(843)にも、両神の神階を昇叙した記事がある。ここに記録されたのは、平安時代に大若子神が神として祭られ、朝廷から神階を授けられた事実である。
一方、この記録は大若子神の系譜や伊勢での活動、越国での戦いを説明してはいない。大若子命の物語として知られる倭姫命への協力や大幡主命の名の由来は、別の後世史料や神社伝承に見える。『続日本後紀』の神階記事と後世の伝承を分けて読むことで、古代の神名記録と、その後に形成された大若子命の人物像を混同せずに捉えられる。
出典・参考:『続日本後紀』承和3年11月7日条・承和10年条
倭姫命が天照大神を祀る地を求めて伊勢を巡ったという伝承の中で、大若子命は土地に通じた有力者として登場する。三重県神社庁の櫛田神社由緒は、倭姫命が津のあたりから伊勢・志摩へ向かった際、大若子命が道案内をし、伊勢に鎮座するまで仕えたと伝えている。
この物語で大若子命は、倭姫命と各地をつなぎ、神宮の鎮座を助ける役割を担っている。地元の有力者として巡行を支えたという位置付けは、度会氏の祖神とする伝承や、伊勢の神宮祭祀との結び付きにも重なる。ただし、これは『倭姫命世記』などに伝わる鎮座伝承であり、『古事記』『日本書紀』に大若子命の道案内が記されているわけではない。神宮創建時の出来事を直接記録した同時代史料としてではなく、後世に伝えられた神宮由緒の一つとして扱う必要がある。
出典・参考:『倭姫命世記』、三重県神社庁「櫛田神社(櫛田町)」
三重県松阪市の櫛田神社には、倭姫命が当地の田に落とした櫛を大若子命が拾い上げたため、倭姫命が「櫛田」と名付けたという伝承がある。神社由緒では、倭姫命が大若子命に櫛を渡されたことを、この地に櫛田の社を定めた由来と結び付けている。
この話は、大若子命と倭姫命の関係を、巡行を助けるだけでなく、特定の土地と神社の由緒に結び付ける物語である。櫛田神社では、この伝承にちなみ、古くなった櫛を持ち寄って焼納する櫛まつりが行われている。神社の由緒が地域の祭事として受け継がれている例だが、地名の成立を歴史的事実として証明するものではない。
櫛田神社の伝承では、大若子命は倭姫命の行幸に奉仕した人物であると同時に、当地の神社創建に関わる神として祀られている。神宮鎮座伝承と櫛田の地名由来が重なることで、伊勢の神々の巡行が地域の神社の由緒へ取り込まれてきた様子がうかがえる。
出典・参考:『倭姫命世記』、『二所皇太神遷幸要略』、三重県神社庁「櫛田神社(櫛田町)」
大若子命には、越国《こしのくに》の阿彦《あびこ》を討伐し、その功績から大幡主命の名を与えられたという伝承がある。越中護国八幡宮の由緒では、垂仁天皇の時代、大若子命が天皇の命を受けて阿彦を平定し、北陸の地に平穏をもたらしたと伝えている。『豊受大神宮禰宜補任次第』にも、越国の凶賊阿彦を平定した大若子命に大幡主の名が加えられたという記事が見える。
この物語では、大若子命は伊勢の神宮鎮座を支えた神であるだけでなく、遠方の反乱を鎮める武人として描かれる。「幡を上げて討伐した」という伝承が、大幡主という異名の由来に結び付けられている。ただし、『古事記』『日本書紀』に阿彦征討の記事はなく、越中護国八幡宮の由緒や神宮関係の後世史料に伝わる物語である。史実として確認された戦争記録とは区別し、北陸の神社で大幡主命がどのように語り継がれてきたかを示す伝承として読む必要がある。
出典・参考:『豊受大神宮禰宜補任次第』、越中護国八幡宮「ご祭神・由緒」
出典文献
続日本後紀
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
おおわかこのかみ
続日本後紀
祀られている主な神社
櫛田神社
(福岡県博多区上川端町1−41)
越中護国八幡宮
(富山県富山市八幡字喜兵衛作718番地)
櫛田神社
(三重県松阪市櫛田町724)
梅ノ宮神社
(京都府左京区岩倉中町52)
梅宮神社
(宮城県塩竈市梅の宮15-35 )
