天忍雲根神
あめのおしくもねのかみ
- 神話・伝説
- 男神・男性

玉蘭斎貞秀(神佛図會)

玉蘭斎貞秀(神佛図會)

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天忍雲根神とは?
天忍雲根神は『延喜式』所載の中臣寿詞などに登場する男神である。天押雲根命、天押雲命などとも表記される。『古事記』『日本書紀』には登場しないが、中臣氏や春日信仰に関わる神として伝えられている。
中臣寿詞では、天孫降臨に関わる神々の伝承の中に登場する。天児屋命の命を受けて天上へ昇り、皇孫に供える御膳水《みけつみず》について神々の教えを受けたとされる。天忍雲根神はその教えに従って天の水を地上へもたらす神として語られ、こうした伝承から水に関わる神、水徳の神として信仰されてきた。
中臣寿詞では天児屋命が天忍雲根神を遣わすことは記されているものの、両神を明確に親子とは記していない。一方、春日大社や吉田神社などの伝承では、天忍雲根神は天児屋命と比売神の御子神とされている。春日大社では天押雲根命の名で若宮に祀られ、父神である天児屋命、母神である比売神に連なる御子神として信仰されている。
春日大社の若宮は、天押雲根命を祭神とする春日若宮おん祭の中心となる社であり、五穀豊穣や万民安楽、正しい知恵を授ける神として崇敬されている。また、京都府京都市の吉田神社摂社若宮社でも天忍雲根命を祀り、天孫のために御膳水をもたらした伝承から水徳の神として信仰されている。代表的な神社に春日大社若宮、吉田神社若宮社などがある。
エピソード
『延喜式』に収められた中臣寿詞では、天孫が地上へ降った後、中臣氏の遠祖である天児屋命が皇孫に仕え、天忍雲根神を天の二上《ふたがみ》へ昇らせたとする。天忍雲根神は浮雲に乗って天上へ向かい、神漏岐《かむろぎ》・神漏美《かむろみ》の二柱に、皇孫の食事に供える御膳水について教えを求めた。
二柱の神は、現実の国にある水へ天つ水を加えて皇孫に奉るよう教えた。さらに天忍雲根神へ天の玉櫛を授け、それを地に刺し立て、祝詞を唱えることで湧き出る天の八井を天つ水として用いるよう命じた。天忍雲根神はこの教えを地上へ持ち帰り、皇孫の食事に用いる清浄な水を整える役割を果たしたのである。
この説話で重要なのは、天忍雲根神が単に天上から水を運んだのではなく、地上の水を神聖な御膳水へ変える方法を授かったことである。天の玉櫛と祝詞によって水を清め、天つ水として献じる姿には、宮中祭祀における水の清浄性と、中臣氏が担った祝詞や祭祀の役割が重ねられている。このため天忍雲根神は、水源や飲食を守る水徳の神として信仰されるようになった。
出典・参考:『延喜式』巻八「中臣寿詞」、國學院大學大学院紀要「『中臣寿詞』における事依しの構造」
中臣寿詞では、天児屋命が天忍雲根神を天上へ遣わしたことは記されるが、両神を親子とは明記していない。一方、春日大社の伝承では、若宮に祀られる天押雲根命を、本社第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神としている。中臣氏と、その後裔である藤原氏が奉斎した春日信仰のなかで、天忍雲根神は父母神の神徳を継ぐ若宮として位置付けられたのである。
春日大社の社伝によると、天押雲根命は長保五年(1003)旧暦三月三日、第四殿に神秘的な姿で出現した。当初は母神である比売神の御殿内に祀られ、その後は第二殿と第三殿の間にある獅子の間へ移され、水徳の神として崇敬された。やがて独立した御殿が造営され、春日大社の若宮として祀られるようになった。
京都市の吉田神社でも同様に、本宮第三殿の天之子八根命と第四殿の比売神の御子として、摂社若宮社に天忍雲根命を祀る。同社は天孫のため天上へ昇り、御膳水を請い受けた水徳の神と説明している。天児屋命の御子という系譜は中臣寿詞の本文そのものではないが、春日系の神社で受け継がれてきた重要な祭神伝承である。
出典・参考:『延喜式』巻八「中臣寿詞」、春日大社公式サイト「春日若宮おん祭 おん祭について」、吉田神社公式サイト「各社のご由緒と主な祭事」
平安時代後期の長承年間、長雨と洪水によって凶作が続き、疫病も広がった。人々を救うため、白河上皇、鳥羽上皇、藤原忠通、藤原忠実、藤原頼長らは、春日大社で水徳の神と仰がれていた天押雲根命の加護を願った。長承四年(1135)旧暦二月二十七日には、現在の地に本社と同じ規模の若宮御殿が造営された。
翌保延二年(1136)旧暦九月十七日、若宮の神霊を春日野へ迎えて祭礼が営まれた。これが春日若宮おん祭の始まりとされる。社伝では、祭礼の後に長雨と洪水が収まり、晴天が続いたという。そのため、おん祭は五穀豊穣と万民安楽を祈る大和国を挙げた祭礼として発展した。天忍雲根神の水徳は、清らかな水をもたらす働きだけでなく、過剰な雨を鎮め、農作物と人々の暮らしを守る力としても信仰されたのである。
春日若宮おん祭は、その後も長く受け継がれ、現在は毎年十二月に行われている。御渡り式ではさまざまな時代の装束をまとった行列が進み、若宮の御旅所では舞楽、田楽、猿楽などの神事芸能が奉納される。御渡り式と神事芸能は国の重要無形民俗文化財に指定されている。中臣寿詞に名を残す水の神は、春日の若宮として、農業、芸能、地域の安泰を支える祭礼の中心となった。
出典・参考:春日大社公式サイト「春日若宮おん祭 おん祭について」、春日大社「大宮・若宮御祭神御由緒」
天忍雲根神には、天村雲命と同じ神ではないかとする説がある。両神は名前に「天」と「雲」を含み、天上から神聖な水をもたらすというよく似た伝承を持つためである。
中臣寿詞では、天忍雲根神が天の浮雲に乗って天の二上へ昇り、皇孫の御膳水に地上の水と天つ水を合わせて用いるよう教えを受ける。一方、伊勢神道に関わる後世の文献では、天村雲命が天孫に仕え、地上の水が清らかでなかったため天上へ戻り、天忍石長井水《あめのおしいわながいのみず》を汲んで献上したと伝えられる。水を求めて天上へ往還し、皇孫へ献じるという話の骨格は共通している。
しかし、両神の系譜は同じではない。春日大社では天忍雲根神を天児屋命と比売神の御子として祀るのに対し、天村雲命は天香語山命の御子や、度会氏の祖神などとする別系統の伝承を持つ。したがって、名称と役割の類似から同一神とみる説はあるものの、確定した同一神として扱うことはできない。二柱は、それぞれ異なる祭祀氏族の伝承に現れながら、天上の水を地上へもたらす神として共通する性格を備えている。
出典・参考:『延喜式』巻八「中臣寿詞」、『大同本紀』逸文、『豊受皇太神御鎮座本紀』
天忍雲根神は、春日大社の若宮では天押雲根命の名で祀られている。春日大社の若宮十五社めぐりでは第一番の神社に位置付けられ、正しい知恵を授ける神とされる。これは、中臣寿詞で天上の神々のもとへ赴き、皇孫の祭祀に必要な御膳水の教えを受け、それを地上へ伝えた働きと結び付く神徳である。
京都市の吉田神社摂社若宮社でも、天忍雲根命は水徳の神として祀られる。本宮第三殿と第四殿の御子神とされ、もとは本宮の第二殿と第三殿の間に社殿を設けず祀られていたが、慶安元年(1648)に現在地へ社殿が造営された。同社では、天孫のために天の二上へ昇り、御膳水を請い受けて献じた神として信仰されている。
天忍雲根神の水徳は、川や雨そのものを支配するというより、神聖な食事へ供える水を清め、天上と地上を結ぶ働きに特徴がある。水を正しく整えて献じるには、神意を受け取る知恵と祭祀の作法が必要となる。そのため、春日大社では水徳の神であると同時に、正しい知恵を授ける神としても祀られているのである。
出典・参考:春日大社公式サイト「若宮十五社めぐり」、吉田神社公式サイト「各社のご由緒と主な祭事」、『延喜式』巻八「中臣寿詞」
出典文献
神話
神格
ご神徳
別称・異称
あめのおしくものみこと
その他
天忍熊根命あめのおしくまねのみこと
その他
天忍雲根命あめのおしくもねのみこと
その他
天押雲根命あめのおしくもねのみこと
その他
祀られている主な神社
五十鈴神社
(宮城県石巻市桃生町牛田字館前27 )
見初社
(奈良県奈良市西御門町13-2)
春日若宮社
(奈良県奈良市中辻町56)
押雄神社
(福島県南相馬市原町区北新田字諏訪137)
若宮社
(新潟県西蒲区松野尾3270番地)
