御社殿・御祭神・ご利益 | 速谷神社 - 神社ファン

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速谷神社

はやたにじんじゃ

広島県廿日市市上平良308番地の1

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御社殿・御祭神・ご利益

更新日:2026年9月14日

拝殿・本殿・祓殿・直会殿

大きな注連縄が掛けられた神門をくぐると、正面に速谷神社の御社殿が現れます。本殿は素木造・銅板葺の三間社流造で、その前方に祈祷などが行われる拝殿が建ちます。拝殿の右手には祓殿、左手には直会殿が続き、複数の建物が一体となって御社殿を構成しています。
速谷神社の社殿は、長い歴史のなかで焼失と再建を繰り返してきました。江戸時代初期には福島正則による社領没収などの影響を受けて荒廃しましたが、正保3年(1646年)、広島藩主となった浅野光晟が速谷神社の所在と由緒を調査。慶安元年(1648年)には藩費によって社殿が造営され、以後は歴代広島藩主の崇敬を受けました。
拝殿Pooler316(wikipedia CC0 1.0)
その後も慶安元年(1648年)、元禄11年(1698年)、元禄13年(1700年)に焼失の記録があり、そのたびに再建が行われました。度重なる火災を経ながらも、その都度社殿が再興されてきたことからも、速谷神社が歴代藩主から重視されていたことがうかがえます。
大正時代には、速谷神社を官社へ列格させるための神域拡張と社殿造営が進められました。この事業には近隣24町村から4,000人を超える勤労奉仕の希望者が集まり、県内各地から約2,000本の樹木が寄進されたと記録されています。大正13年(1924年)10月には新社殿が完成し、翌11月に国幣中社へ列格しました。
しかし、この社殿も1986年(昭和61年)の火災によって焼失します。その後再建が進められ、1988年(昭和63年)に現在の御社殿が完成しました。現在目にする御社殿は比較的新しい建物ですが、その背景には江戸時代から何度も焼失と再建を重ねてきた歴史があります。
速谷神社 拝殿 斜め
さらに2024年(令和6年)の創建1800年に向けて、御社殿を中心とした境内の大規模な整備が行われました。錺金具の修繕や塗装修復、社殿前の石敷整備のほか、約100年を経過した透塀の全面建て替え、防犯設備の整備などを実施。一の鳥居や儀式殿、玉垣なども整備され、2024年10月12日には創建1800年奉祝奉幣祭が斎行されました。
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御祭神・ご利益

御祭神は飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)です。『先代旧事本紀』には、第13代成務天皇の時代に、天湯津彦命の五世孫である飽速玉命を阿岐国造に定めたことが記されています。阿岐国造は古代の安芸国を治めた有力な豪族で、速谷神社では飽速玉男命を阿岐氏族の祖先神、守護神として祀っています。
阿岐国造は安芸国の開拓を進め、道路を整え、橋を架け、治水を行い、田畑を開墾するなど、人々の生活基盤を築いたとされています。こうした由緒から、飽速玉男命は安芸国の国づくりと発展に関わる神として崇敬され、速谷神社は「安芸国総鎮守」と称されてきました。
速谷神社 本殿

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