諸杉神社 - 神社ファン

有名度

前頭

諸杉神社

もろすぎじんじゃ

兵庫県豊岡市出石町内町28番

兵庫県豊岡市出石町内町28番

鳥居と拝殿

663highland(wikipedia CC 表示 2.5)

かんたんご利益

御祭神

多遲摩母呂須玖神 たぢまもろすくのかみ

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

諸杉神社は兵庫県豊岡市に鎮座する神社。御祭神は多遲摩母呂須玖神の1柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年代は不詳であるが、社伝によれば当初は出石神社近くの水上村(現・豊岡市出石町水上)に鎮座していたと伝えられる。現在地への遷座は天正2年(1574年)とされ、山名氏が此隅山城から有子山城へ移った時期にあたる。この遷座により、諸杉神社は出石の政治的中心の移動と密接に関わりながら現在地に定着したとみられる。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には、但馬国出石郡の式内社として「諸杉神社」あるいは「諸枌神社」の名が記されており、古くから国家祭祀の体系に組み込まれていたことが確認できる。祭神である多遅摩母呂須玖神は『古事記』『日本書紀』に見え、天日槍の子に位置づけられる神であることから、本社も古代にさかのぼる信仰を背景に成立した神社である。
その後の詳細な沿革は明らかでないものの、天正2年(1574年)の遷座以降は出石城下に鎮座する神社としての性格を強めていく。江戸時代には出石城山里曲輪の北方に祀られ、歴代城主である小出氏・松平氏・仙石氏から厚い崇敬を受け、社殿の造営や神供料の寄進が行われた。とくに仙石氏の時代には、参勤交代から帰国した城主がまず参拝する慣例があり、藩政と結びついた祈りの場として重要視されていた。この頃には社名は「諸杉大明神」とも称されている。
近代に入ると、明治6年(1873年)10月に郷社に列し、さらに大正13年(1924年)4月21日には県社に昇格した。その間、明治9年(1876年)に社殿が焼失するが、明治17年(1884年)に再建され、現在の社殿構成が整えられている。
現在の本殿は三間社入母屋造である。例祭は10月中旬に行われる秋祭で、水上の旧鎮座地との関係を今に伝える神輿渡御が行われる。境内には大きなイチョウがあり、秋には落葉が境内一面を覆い、歴史ある社地に季節の景観を添えている。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

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建築

本殿 三間社入母屋造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E6%9D%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE