有名度
小結南宮大社
なんぐうたいしゃ
岐阜県不破郡垂井町宮代字峯1734番地の1
金敷金床神社・石船社・御霊社
更新日:2026年6月8日
金敷金床神社
金敷金床神社(かなしきかなとこじんじゃ)は、南宮大社の南門から南宮山へ向かう参道の一番手前に鎮座する境内社です。御祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と蛭児神(ひるこのかみ)です。豊玉姫命は海神の娘で、彦火火出見尊の妃神として知られています。また、蛭児神は古くから福の神として信仰されています。
社名の「金敷(かなしき)」と「金床(かなとこ)」は、いずれも鍛冶に用いる道具の名前です。全国の金属業・鍛冶業の総本宮として知られる南宮大社らしい社名であり、金物の神様をお祀りする南宮大社の特色を感じられる境内社のひとつとなっています。

石船社
石船社(いしふねしゃ)は、金敷金床神社の背後に鎮座する境内社です。一般的な社殿はなく、舟の形に見える大きな岩そのものが御神体としてお祀りされています。この岩は古くから「船形石」と呼ばれており、「古よりこの地に座す船形石」と説明されています。また、その形が鍛冶で使用する金床に似ていることから、隣接する金敷金床神社とも深い関わりを持つと伝えられています。
石船社の御祭神については「石舟明神」とされることがあり、鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)や天鳥船神(あめのとりふねのかみ)に結び付ける説も伝えられています。いずれも神々を運ぶ船に関わる神として知られています。
また、石船社は南宮大社に残る岩石信仰を今に伝える存在としても知られています。境内には磐境石や子宝石など、岩にまつわる信仰が残されていますが、石船社もそのひとつであり、自然の岩を神聖視してお祀りする古い信仰の姿を見ることができます。

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御霊社
御霊社(ごりょうしゃ)は、南宮大社の玉垣の外、本殿後方に鎮座する境内社です。御祭神は御英霊の御霊で、関ケ原の戦いで命を落とした人々の魂をお祀りしています。関ケ原の戦いは1600年(慶長5年)、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とする西軍によって行われた天下分け目の戦いです。戦場となった関ケ原は南宮大社からも近く、多くの武将や兵たちがこの地で戦いました。御霊社は、その戦いで亡くなった人々を敵味方の区別なく慰霊するために祀られています。
南宮大社も関ケ原の戦いによって社殿が焼失した歴史を持っています。現在の社殿群は1642年(寛永19年)、徳川家三代将軍・徳川家光によって再建されたもので、御霊社は関ケ原と深い関わりを持つ南宮大社ならではの境内社となっています。
また、毎年御霊社例祭や慰霊祭が斎行されており、英霊への感謝と平和への祈りが捧げられています。現在も戦没者を慰霊する場所として大切に守られています。

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