多為神社 岐阜県 - 神社ファン

有名度

前頭

多為神社

たいじんじゃ

岐阜県関市西田原字平井1615番地

岐阜県関市西田原字平井1615番地

拝殿

Jerry fish tkc(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

御祭神

大須禰比売命 おおすねひめのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

多為神社は岐阜県関市に鎮座する神社。御祭神は大須禰比売命の1柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
多為神社の創祀年代は不明であるが、『延喜式神名帳』に国幣小社として列し、美濃国の神名を記した『美濃国神名記』には「従五位下 多井明神」と記されており、古くから朝廷に認識された神社であったことがうかがえる。社名は「多井宮」とも称され、早くから地域の信仰の中心として位置づけられてきた。
寛文5年(1665年)には、代官根尾三右ェ門・松井取右ェ門により、神域の山林草木伐採を禁じる制札が立てられ、社地と祭祀を守護する措置が講じられている。このことから、江戸時代を通じて公的な管理と地域的な保全意識のもとで維持されてきた神社であったことがわかる。
しかし天保10年(1839年)頃になると社殿が著しく腐朽し、棟札の散逸なども重なって祭祀が中絶する事態に至った。その後は明治5年(1872年)頃まで、隣村である大杉村の村民によって細々と祭事が補佐され、神社の存続が支えられてきた。この時期は、多為神社が盛衰を経験した象徴的な局面といえる。
近代に入ると、明治6年1月4日に西田原村を含む周辺8ヶ村の郷社に列せられ、地域を代表する神社としての位置づけが明確になった。さらに明治40年3月27日には神饌幣帛料供進神社に指定され、国家祭祀体系の中にも組み込まれている。これらの経緯から、多為神社は古代から近代に至るまで、地域社会との関わりの中で信仰を受け継いできた神社であることが読み取れる。
  • 郷社
  • 式内社(小)
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%82%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%96%A2%E5%B8%82)
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/