有名度
前頭漢槎宮(浮木神社)
かんさぐう(うきじんじゃ)
秋田県仙北市西木町西明寺潟尻
秋田県仙北市西木町西明寺潟尻

掬茶(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
- 恋愛
漢槎宮(浮木神社)には
「恋愛系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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ご利益
美容 縁結び
御祭神
金鶴姫之命 かねつるひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
漢槎宮(浮木神社)は秋田県仙北市に鎮座する神社。御祭神は金鶴姫之命の1柱をまつる。
漢槎宮の起源は、田沢湖に流れ着いた大木を神としてまつったことに始まると伝えられる。この浮木は、大木の一部が湖面から約2m現れ、そこから斜めに水底深くへ沈んでいたという。湖畔の人々はこの大木を神聖視してまつり、浮木神社、また槎木明神などと呼んで信仰した。大正13年(1924)に鉄道省が発行した『十和田湖、田沢湖、男鹿半島案内』にも、湖中に長い古木が立つように沈み、土地の人々が槎木明神と呼んで伐採を禁じていたことが記されている。
田沢湖には辰子姫と八郎太郎にまつわる伝承も残る。辰子姫は永遠の若さと美しさを求めた末に龍となり、田沢湖の主になったと伝えられる。一方、八郎潟の主となった八郎太郎は辰子姫を慕い、八郎潟を離れて川をたどり、旧暦11月9日に桧木内川から潟尻川を経て現在の潟尻付近から田沢湖へ入ったという。辰子姫は八郎太郎を迎え、以後、八郎太郎は冬になると田沢湖を訪れるようになったとされる。潟尻では、八郎太郎が湖へ入る際の音や姿を避けるため、人々が一晩中にぎやかに過ごしたとの伝承も伝わっている。
明和6年(1769)には、儒学や漢学、俳諧に通じた秋田藩士の益戸滄洲が田沢湖を訪れ、湖畔の社を「漢槎宮」と名付けた。これ以後、田沢湖も漢槎湖、あるいは槎湖と呼ばれることがあった。拝殿には滄洲が記した「漢槎宮」の扁額が伝えられており、田沢湖を遊覧した際に船頭を務めた少年・斉藤千太郎へ書き与えたものとされる。
大正13年(1924)の『十和田湖、田沢湖、男鹿半島案内』には潟尻の漢槎宮から駒ヶ岳を望む景観も紹介されており、この頃には現在と同じ田沢湖西岸の潟尻に社が鎮座していたことがわかる。現在は辰子姫を金鶴姫之命としてまつり、漢槎宮と浮木神社の両名で呼ばれている。
社殿は田沢湖西岸の潟尻にあり、湖岸から湖上へ張り出すような場所に建つ。白木造りの社殿へは、湖岸の鳥居をくぐり、橋を渡って参拝する。周囲には田沢湖の湖面が広がり、湖畔に鎮座する当社ならではの景観を形づくっている。
社殿の近くには、田沢湖の辰子伝説を象徴する「たつこ像」が立つ。彫刻家・舟越保武が制作したブロンズ像で、昭和43年(1968)5月12日に除幕された。金色の像が湖中に立つ姿で設置され、漢槎宮とともに田沢湖西岸の潟尻を代表する景観となっている。
漢槎宮の起源は、田沢湖に流れ着いた大木を神としてまつったことに始まると伝えられる。この浮木は、大木の一部が湖面から約2m現れ、そこから斜めに水底深くへ沈んでいたという。湖畔の人々はこの大木を神聖視してまつり、浮木神社、また槎木明神などと呼んで信仰した。大正13年(1924)に鉄道省が発行した『十和田湖、田沢湖、男鹿半島案内』にも、湖中に長い古木が立つように沈み、土地の人々が槎木明神と呼んで伐採を禁じていたことが記されている。
田沢湖には辰子姫と八郎太郎にまつわる伝承も残る。辰子姫は永遠の若さと美しさを求めた末に龍となり、田沢湖の主になったと伝えられる。一方、八郎潟の主となった八郎太郎は辰子姫を慕い、八郎潟を離れて川をたどり、旧暦11月9日に桧木内川から潟尻川を経て現在の潟尻付近から田沢湖へ入ったという。辰子姫は八郎太郎を迎え、以後、八郎太郎は冬になると田沢湖を訪れるようになったとされる。潟尻では、八郎太郎が湖へ入る際の音や姿を避けるため、人々が一晩中にぎやかに過ごしたとの伝承も伝わっている。
明和6年(1769)には、儒学や漢学、俳諧に通じた秋田藩士の益戸滄洲が田沢湖を訪れ、湖畔の社を「漢槎宮」と名付けた。これ以後、田沢湖も漢槎湖、あるいは槎湖と呼ばれることがあった。拝殿には滄洲が記した「漢槎宮」の扁額が伝えられており、田沢湖を遊覧した際に船頭を務めた少年・斉藤千太郎へ書き与えたものとされる。
大正13年(1924)の『十和田湖、田沢湖、男鹿半島案内』には潟尻の漢槎宮から駒ヶ岳を望む景観も紹介されており、この頃には現在と同じ田沢湖西岸の潟尻に社が鎮座していたことがわかる。現在は辰子姫を金鶴姫之命としてまつり、漢槎宮と浮木神社の両名で呼ばれている。
社殿は田沢湖西岸の潟尻にあり、湖岸から湖上へ張り出すような場所に建つ。白木造りの社殿へは、湖岸の鳥居をくぐり、橋を渡って参拝する。周囲には田沢湖の湖面が広がり、湖畔に鎮座する当社ならではの景観を形づくっている。
社殿の近くには、田沢湖の辰子伝説を象徴する「たつこ像」が立つ。彫刻家・舟越保武が制作したブロンズ像で、昭和43年(1968)5月12日に除幕された。金色の像が湖中に立つ姿で設置され、漢槎宮とともに田沢湖西岸の潟尻を代表する景観となっている。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%A7%8E%E5%AE%AE
秋田県神社庁
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%A7%8E%E5%AE%AE
秋田県神社庁
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/
