日野俊基
ひのとしもと
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 公家(貴族)
鎌倉時代 [~1332年]
日野俊基とは?
日野俊基(1290-1332)は鎌倉時代末期の公卿。藤原北家日野流の出身で、父は権大納言を務めた日野俊光。母は不詳。弟に同じく後醍醐天皇の側近として知られる日野資朝がいる。若くして学才を示した俊基は、儒学・漢学に通じた文人官僚として朝廷で頭角を現し、後醍醐天皇の信任を受けて蔵人に任ぜられた。鎌倉幕府末期、朝廷と幕府の緊張関係が高まる中で、俊基は天皇親政を志向する後醍醐天皇の側近として政治構想の立案に関与し、討幕計画に深く関わっていく。元弘元年(1331)、後醍醐天皇による倒幕計画が露見すると、俊基はその中心人物の一人として捕らえられ、六波羅探題によって尋問を受けた。証拠不十分として一度は釈放されたものの、再び嫌疑をかけられ、翌元弘2年(1332)に再捕。鎌倉に送られたのち、同年、鎌倉で斬首された。俊基の死は、討幕運動が本格化する直前の出来事であり、その処刑は朝廷側に大きな衝撃を与えたとされる。俊基の死後、後醍醐天皇による討幕は各地で激化し、建武の新政へと繋がっていく。その過程において、俊基は討幕運動の先駆的存在として記憶されるようになった。 俊基は神奈川県鎌倉市にある葛原岡神社に祭神として祀られている。葛原岡神社は明治期に創建された神社で、俊基をはじめ、後醍醐天皇の討幕に殉じた忠臣を顕彰する目的で祀られた。俊基は明治13年(1880)に同神社に合祀され、従二位を追贈されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
葛原岡神社
(神奈川県鎌倉市梶原5-9-1)
