松平定吉 神社の神様 - 神社ファン

松平定吉

まつだいらさだきち

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
松平定昭

祭神ランキング1527位

  • 武人

安土桃山~江戸 [1585年~1603年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 松平定吉とは?

    松平定吉(1585-1603)は安土桃山〜江戸時代初期の人物。松平定勝の子で徳川家康の甥。家康の異父弟である定勝の長男として生まれる。武勇に優れ、また掛川城主となった父・定勝とともに入城し、城下の僧について学問を修めたとされる。慶長8年19歳になっていた定吉は、家康の不興を買い自害したと伝えられる。自害に至った経緯は、江戸時代に刊行された「遠江古蹟図絵」に、家康の眼前で飛ぶ鳥を射落としたところ、無益な殺生を「粗忽である」と叱責され、これを苦にした定吉は切腹して果て、近習20余人も殉死したと記されている。一方で別の説として、若年を理由に関ヶ原の戦いへの従軍を許可されなかったことを侮られたと感じ、口惜しい思いから自害したと記す。定吉は城下の一角に築いた塚に葬られ、これが現在も残る遠江塚といわれている。 定吉は東雲神社(愛媛県松山市)で祭神の稚国玉命としてまつられている。松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である定勝の御霊をまつるため仮殿を造営したことにはじまるとしている。後に定吉の御霊を境内の祠に勧請し、この際に稚国命の神号が与えられたといわれる。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。