豊臣秀頼
とよとみひでより
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
江戸 [1593年~1615年]
豊臣秀頼とは?
豊臣秀頼(1593-1615)は安土桃山〜江戸時代初期の人物。幼名は拾丸。豊臣秀吉と側室淀殿との子で豊臣国松らの親。妻は千姫ほか。秀吉の次男として大坂城で生まれる。秀吉は後継者として甥の豊臣秀次を養子にしていたが、文禄4年の秀次の自刃後は豊臣家の世継ぎとされ、秀吉の死去により6歳で家督を継ぐ。慶長5年の関ヶ原の戦いの後、勢力を増した徳川家康により摂津、河内、和泉の直轄地60余万石を有する一大名とされた。慶長8年に家康の孫で、徳川秀忠の娘・千姫と結婚する。徳川氏との均衡を保ちつつ、慶長10年には右大臣に官位を進めたが、慶長19年に京都方広寺の大仏再興に際して起きた「鐘銘事件」をきっかけとして大坂の役(冬の陣)が勃発。一度は和睦が成立したが、翌年の大坂の役(夏の陣)で総攻撃を受けた大坂城は落城し、淀殿とともに自刃した。玉造稲荷神社(大阪市中央区)を「大坂城の鎮守神」として崇敬し、社領の寄進や、兵火によって焼失した社殿、高殿(舞台)を再建している。 秀頼は豊國神社(大阪市中央区)で父の秀吉、叔父の豊臣秀長とともに祭神としてまつられている。出世・開運のご利益がある。京都の豊国神社の大阪別社として創建された。その後、独立し現在は大阪城二の丸南側に鎮座している。当社の社宝である秀吉画像に書かれた「豊国大明神 秀頼書」の文字は、幼少の秀頼が自ら書いたと伝えられる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
