明智光秀
あけちみつひで
- 歴史的人物
- 男神・男性

ブレイズマン(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 武人
戦国~安土桃山 [1516年~1582年]
明智光秀とは?
明智光秀(?-1582)は戦国?安土桃山時代の人物。通称は十兵衛。明智光慶、玉(細川ガラシャ)らの親。妻に煕子がいる。美濃国(岐阜県)の土岐氏の支族といわれるが、出自などの詳細は不明とされる。流浪の後、朝倉義景、足利義昭らに仕え、さらに織田信長に仕えた。元亀2年の比叡山焼き討ちにおいて武功をあげ、信長から近江国(滋賀県)滋賀郡約5万石を与えられ、坂本城を築き日向守となった。4年後の天正3に惟任の姓を得て、以降、惟任日向守光秀と名乗る。天正10年に中国出陣のため上洛した信長を、京都の本能寺において襲い自害させたが、羽柴(豊臣)秀吉に山城山崎の戦で敗れ、近江の坂本城へ逃走する中、小栗栖で殺害された。 光秀は御霊神社(京都府福知山市)、明智神社(福井県福井市)で祭神としてまつられている。光秀は逆臣として歴史に名を残しているが、生前に領有、居住した地では、善政を敷き領民に慕われていたといわれ、密かにその霊をまつり守ってきたと伝わる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
