本多忠統
ただむね
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(神戸藩)
江戸 [1691年~1757年]
本多忠統とは?
本多忠統《ほんだ ただむね》(1691年~1757年)は、江戸時代中期の大名・儒学者で、伊勢国神戸藩の初代藩主である。本多忠恒の次男として生まれ、父の跡を継いで河内国西代藩主となった。大番頭を経て、享保9年(1724年)に奏者番兼寺社奉行、翌享保10年(1725年)に若年寄へ任じられ、徳川吉宗のもとで享保の改革に関わった。享保17年(1732年)には河内国西代から伊勢国神戸へ移され、1万5,000石を領して神戸藩の初代藩主となった。荻生徂徠《おぎゅう そらい》に学び、儒学や詩文、書画に通じた文人大名としても知られる。号を猗蘭《いらん》、拙翁《せつおう》といい、著作には政治や統治について論じた『猗蘭子』や、詩文を収めた『猗蘭台集』などがある。 本多忠統は、三重県鈴鹿市の神館飯野高市本多神社《こうたついいのたかいちほんだじんじゃ》で祭神としてまつられている。忠統をまつる本多神社は、かつて神戸城跡に鎮座していたが、昭和47年(1972年)に神館飯野高市神社へ合祀された。これにより現在の社名となり、忠統は本多忠統之命《ほんだただむねのみこと》として、天照皇大御神、豊受皇大御神、高御産巣毘大御神などとともに奉斎されている。忠統は神戸藩を開いた初代藩主として、神戸の歴史に深く関わる人物である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
神舘飯野高市本多神社
(三重県鈴鹿市神戸2-18-28)
