北陸宮
ほくろくのみや
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 皇族
平安~鎌倉 [1165年~1230年]
北陸宮とは?
北陸宮《ほくりくのみや》(1165年~1230年)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて伝えられる皇族で、以仁王《もちひとおう》の王子とされる人物である。治承4年(1180年)、父・以仁王が平氏打倒を掲げて挙兵した「以仁王の令旨」は、源氏の挙兵を促す契機となったが、計画は失敗し、以仁王は戦死した。その後の北陸宮については確かな史料が少なく、越後国(現在の新潟県)へ落ち延びて出家し、「北陸宮」と称したとする伝承が残されている。さらに、源義仲に迎えられて還俗し、天皇として擁立する構想があったとも伝えられるが、その後の経緯については諸説ある。「木曾宮」や「還俗宮」とも呼ばれ、源平争乱期に源義仲との関わりが伝えられる皇族として知られている。 北陸宮は、新潟県長岡市の脇子八幡宮で祭神としてまつられている。社伝によれば、父・以仁王の敗死後に越後へ落ち延び、脇子の地に滞在したと伝えられる。この伝承にちなみ、脇子八幡宮では北陸宮を祭神の一柱として奉斎し、そのゆかりを現在に伝えている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
脇子八幡宮
(富山県朝日町泊1156番)
