酒井忠器
さかいただかた
- 歴史的人物
- 男神・男性

山形県史 第三巻(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(庄内藩)
江戸 [1790年~1854年]
酒井忠器とは?
酒井忠器《さかい ただかた》(1791年~1854年)は、江戸時代後期の大名である。出羽国庄内藩(現在の山形県)の第8代藩主で、酒井忠徳の長男として生まれた。文化10年(1813年)に家督を継ぎ、藩政改革や人材登用に努めたほか、天保の大飢饉では領民の救済に力を尽くした。天保11年(1840年)には幕府から庄内藩を越後長岡へ転封する命令が下されたが、領民による大規模な反対運動「天保義民運動」が起こり、翌年に転封は中止された。この出来事は、藩主と領民の結び付きが示された出来事として知られている。嘉永7年(1854年)に死去した。 酒井忠器は、山形県鶴岡市の酒井神社で祭神としてまつられている。同社では第9代藩主・酒井忠発とともに祭神として奉斎されている。天保の国替え騒動における藩主と領民の結び付きを後世に伝えるため創建された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
酒井神社
(山形県鶴岡市馬町字池ノ下111-2)
