龜井茲矩
かめいこれのり
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1527位
- 大名
安土桃山~江戸 [1557年~1612年]
龜井茲矩とは?
亀井茲矩(1557-1612)は安土桃山時代~江戸時代初期の人物。湯永綱の子で、亀井政矩らの親。出雲国(現在の島根県)にて誕生。実父は尼子氏の家臣であったが、茲矩の少年期に尼子氏が毛利元就に攻め滅ぼされてしまう。主君を失った一族は流浪の身となり、潜伏生活を余儀なくされた。京都での潜伏中に尼子氏の残党と出会った茲矩は実戦に参加するようになり、17歳にして拠点の市場城(私都城)を任されている。後に尼子氏残党の一人・山中幸盛の養女(亀井秀綱の次女)を娶ったため、茲矩は亀井姓を名乗るようになった。強大な毛利軍に対して尼子氏の残党は常に劣勢を強いられたが、織田信長が台頭すると織田氏家臣となって力を増す。茲矩は明智光秀の下に配属され、丹波国(現在の京都府)に3000石を知行された。信長の死後は豊臣秀吉の家臣となり、秀吉の死後は徳川家康に服従。時の権力者たちの間で上手く立ち回りながら戦功を挙げ続けた。最終的に所領は3万8000石まで増え、茲矩は因幡国(現在の鳥取県)鹿野藩の初代藩主となる。 茲矩を祭神として祀るのは、島根県津和野町に位置する津和野神社。同神社の御由緒記では茲矩を「亀井家中興の祖」と称している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
津和野神社
(島根県津和野町田二穂1051甲)

