莅戸善政 神社の神様 - 神社ファン

莅戸善政

のぞきよしまさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩士(米沢藩)

江戸 [1735年~1804年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 莅戸善政とは?

    莅戸善政(1735-1803)は江戸時代の武士。莅戸英政の子で莅戸政以の親。出羽国(山形県)米沢藩で馬廻組を務める莅戸家に生まれる。幼少期に父が病死し、祖父に育てられ17歳で家督を継ぐ。藩医で儒学者の藁科松伯の「菁莪館」で学び、1767年に上杉鷹山が9代藩主となると小姓となり、町奉行、小姓頭と進み、同門の竹俣当綱らと共に明和・安永の改革で活躍した。当綱が失脚したことで職を辞し、家督を政以に譲り隠居したが、乞われて中老職として復帰し後に奉行となる。農村の復興や殖産の振興などを推進し、復帰後は善政が立案した47ヶ条の基本構想からなる政策方針「総紕」に基づき改革が実行された。飢饉に備えて飢饉救済の手引書「かてもと」を執筆し、1833年からの天保の飢饉では、記載された救荒食物(代用食物)を実践し米沢藩からは餓死者を出さずにすんでいる。また好古堂の名で執筆した鷹山の言行録「翹楚《ぎょうそ》編」の他、「政語」「好古堂随筆」など多くの著作を残している。 善政は松岬神社(山形県米沢市)で祭神としてまつられている。松岬神社は、上杉神社から分祀された鷹山がまつられ、昭和に入り鷹山の下で改革を主導した当綱と共に合祀された。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。