脇屋義助
わきやよしすけ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング655位
- 武人
鎌倉~南北朝 [1305年~1342年]
脇屋義助とは?
脇屋義助(1301?-1342)は鎌倉〜南北朝時代の武士。新田朝氏の子で脇屋義治らの親。新田義貞の弟。上野国(群馬県)新田郡の豪族・新田氏に生まれる。脇屋を本拠地としたことから脇屋姓を名乗った。鎌倉幕府打倒を掲げ挙兵した兄・義貞に従い出陣し武名をあげ、この功により従五位下を授けられ、駿河守護、武者所寄人に任ぜられた。足利尊氏が建武政権に反旗を翻すと、追討の命を受けた兄と共に足利軍に対峙。後醍醐天皇による南朝樹立後も南朝方の主力として戦う。越前国(福井県)黒丸城での戦いの中、大将の義貞が討死し南軍は態勢を崩すが、軍を引き継いだ義助が奮戦。しかし、勢力と兵糧の衰えた義助らは吉野へ向かう。後醍醐天皇崩御後に即位した後村上天皇より官位の昇進を得た義助は、その後、伊予国(愛媛県)からの要請を受け、西国方面の総大将として派遣された。義助の下に河野氏、得能氏ら地元の豪族が集まり一時は威勢をふるったが、急な病に倒れこの地で死去した。 義助は新田神社(愛媛県松山市)や藤島神社(福井県福井市)で祭神としてまつられている。新田神社はこの地で疫病に倒れた義助をまつることによって疫病除けの神とし、地域で崇敬を受けたという。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
新田神社
(愛媛県鬼北町成藤518番)
